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日本の「墓地・埋葬等に関する法律」は昭和23年に作られたものですが、埋葬の本来の意味である「死者を土の中に埋める」、つまり土葬することを念頭に置いています。しかし現在はほとんどの場合において遺体は火葬され、遺骨は墓地や納骨堂に収納されています。
十字架刑によって死なれたイエス様のからだも埋葬されました。今回の記事から何を学ぶことができるでしょうか。(ヨハネの福音書19章38~42節)
I. それは“元隠れ弟子”の勇敢な行動によって行われた
十字架刑などにより処刑された人のからだは通常、丁重に扱われることはありません。イエス様ご自身で埋葬の準備はされなかったでしょうし、イエス様の家族も様々な意味で準備は困難であったと思われます。イエス様の埋葬に関連してのみ登場するアリマタヤのヨセフですが、彼は議員でありながら、総督ピラトにイエス様のからだの引き取りを申し出ました。彼は秘かにイエス様の弟子であったのですが、この場に及んで信仰を公に告白したのです。これは勇敢な自発的行動です。彼は自らを除名や迫害、そして暴行の危険にさらしたのです。
II. それは“元隠れ信者”の献身的な行動によって行われた
ニコデモもヨセフのしようとしていることに加わりました。彼もユダヤの貴族階級の一人です。彼は以前イエス様のもとに夜やってきました。(3章)また議会においてイエス様を擁護する発言をしています。(7:45~52)彼も議会のメンバーとして、イエス様に従うことは(弟子たちとは違い)リスクは大きなものです。彼もこの場に及んでイエス様に対する信仰を行動であらわしました。イエス様の埋葬のために高価な没薬と沈香を34キロほど持ってきたのです。彼は裕福であっただけでなく、イエス様への感謝の心があったということです。
ユダヤ人たちは祭り(安息日)の始まる日没までに遺体を処理しようと躍起になっていましたが、急ぐ必要があるという点においてはヨセフとニコデモも共通認識であったと思われます。イエス様のからだはヨセフが所有する新しい墓に埋葬されました。
III. それは預言の成就である
預言者イザヤはイエス様の葬りについて預言しています。(イザヤ53:9)主を十字架につけた者たちは、主を犯罪者として最後まで処理するつもりであったでしょうが、預言通り、裕福な者たちの勇敢で献身的な行動により手厚く埋葬されたのです。
まとめ: イエス様を信じる者は、イエス様を主と公言する者である
信仰は心の問題ではありますが、内面にある信仰は、行動によってあらわされなければなりません。イエス様への信仰を行動で示すことは、時にリスクを背負うことになります。(またそれが証しとなるでしょう。)イエス様への信仰を示すことは、時に(与えられている)立場を用い、物質的な犠牲を払うことになります。(これも証しとなるでしょう。)
以前のヨセフやニコデモのように、私たちは恐れのため、また不都合を避けるためにイエス様に対する信仰を表明しない(隠してしまう)ことがあるかもしれません。彼らはそうでした。しかし主と共に歩んだ弟子たちが、主の十字架刑の際にいなくなってしまった一方で、二人は表に出て来ることを選びました。私たちが今まで(イエス様を主と公言することにおいて)どうであったのであれこれからが重要です。日々の生活において何を大事にしているか、何を守ろうとしているかが問われているのです。私たちのために死に、葬られ、復活されたイエス様に自らをささげること、用いていただくことにおいて覚悟を決めなければならない時がやってくるでしょう。その時あなたはどう行動するでしょうか。