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聖書には数々の奇蹟が登場します。イエス様の復活はその一つですが、この出来事が事実であることは、他の聖書の奇蹟を証明する上で重要です。ある学者は、イエス様の復活が根拠のないものであると証明しようとしました。しかし、様々なことを調べていくうちに真実であることを確信するに至り、イエス様の復活が事実であることを説明する本を書きました。イエス様の復活の事実は聖書の(他の)超自然の出来事を証明するものです。
今回は、イエス様の復活が、実際のよみがえりであったこと、イエス様は確かに死なれたという前提の上に起こったことであることを学びます。
I. 百人隊長と兵士たちの認識
アリマタヤのヨセフがイエス様の遺体引き取りを願い出た時、ローマ総督ピラトは短時間でイエス様が死亡したことに驚きました。(マルコ15:42-45)彼は十字架刑の責任者である百人隊長にイエス様の死を確かめ、ヨセフに遺体を引き渡しました。このことをもってイエス様の死を公に宣言したのです。
十字架に架けられると、自身の重みで身体が下がり、気道が圧迫され呼吸困難になります。そのため膝をピストン状に使って身体を持ち上げようとするのです。それを長時間繰り返すうちに体力が消耗し身体を上げられなくなり窒息死します。しかし、すね(脚)を折ると、身体を上げられなくなるので、死が早まります。この時は安息日に死体をさらすわけにはいかないという事情の中で、とどめを刺すために他の者たちのすねは折られました。しかしイエス様の脚は折られませんでした。それは兵士たちがイエス様の死をすでに確認していたからです。( ヨハネ19:33)
II. 女性達の認識
イエス様の墓に向かった女性たちは、イエス様の遺体に(腐敗臭への対処として)香料を塗ろうとしていました。彼女たちは明らかにイエス様が亡くなっているという理解のもとに行動しています。(マルコ16:1-2)
III. イエス様のからだの状態
兵士の一人はイエス様が死んだことを確認していながら槍で脇腹を突き刺しました。脇腹から血と水が流れ出ました。心臓、或いは肋骨のある部分が貫かれたのでしょう。いずれにしてもこれはイエス様の死が疑いのないものであることを説明しています。
IV. 復活されたイエス様のからだの状態
ある人が主張するように、“イエス様は気絶しただけで、墓の空気と香料によって息を吹き返した”というのではありません。死後三日経って現れたイエス様は、瀕死の状態で人々と会ったわけでもありません。極度に痛めつけられた末に十字架につけられたイエス様でしたが、彼らに現れた時には、治療・休養・助けをまったく必要とはしておられなかったのです。
V. イエス様の証言
イエス様は十字架にかかられる前に、繰り返し、ご自分が死ぬこと、殺されることについて語っておられます。イエス様はその通りに死なれたのです。イエス様ご自身が一度は死なれたことを宣言しておられます。(黙示録1:18)
まとめ:確かに死なれたイエス様は実際によみがえられた
イエス様は、“死にかかっていたけれども回復された”というのではありません。もしイエス様が死んでおられないのであれば、私たちの救いは成立しないことになります。“死ぬほどの苦しみをされた”からイエス様は救い主である、というのではありません。イエス様は確実に死なれ、神としての超自然の御力によってよみがえられたのです。クリスチャンはその事実を信じて救われ、将来の復活の希望をいただいているのです。