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回心とは、まことの神様の前における心の変化であり、悔い改めと信仰が含まれることを学んできていますが、今回は信仰について学びます。人は、“何を信じているか”がその生き方に反映されます。人は神様の前に自分の罪の状態を悔いる時、同時に罪の赦しを実現してくださる神様を信じ始めるのです。人が救われることにおいて、信じるという応答が重要です。
自分の娘が悪霊にとりつかれていたカナン人の女性は、イエス様に助けていただこうと食い下がりました。イエス様はこの女性の信仰を評価され、娘を癒してくださいました。(マタイ15章)一人の百人隊長は、イエス様がことばだけで自分のしもべの中風を癒すことができる権威をもっておられることを信じていましたが、イエス様はこのことに驚かれ、百人隊長の信じたとおりにしてくださいました。(マタイ8章)イエス様が、彼らの心にあるものを見抜かれ対応されたことは、人の側の信仰の重要性を説明しています。
I. 人は信仰によって救われる
パウロとシラスは自分たちをつないでいた牢屋の看守にイエス様を信じることを求めました。(使徒16:31)これは、看守がすでに自分自身の罪を自覚していた中でのことです。自身が望みなく地獄へ向かっている憐れな存在であることを認識した罪人は、(イエス様を主として、救い主として)信じることの意味がわかるようになり、神様が用意しておられる救いをいただくのです。イエス様を信じる信仰とは、自分が失われた罪深い人間であることを認め、イエス様を唯一の望みとして受け入れることです。(エペソ2:8)
信仰によって義と認められる(ローマ5:1; 9:30):救われることの一つの意味は、神様との関係回復です。
信仰によって御霊を受ける(ガラテヤ3:14):救われる人は、(救われる時に)御霊(聖霊)なる神様を心の内にいただきます。クリスチャンは御霊の御住まいとなるのです。
信仰によって聖別される(使徒15:9; 26:18):救われた人は、罪の問題が解決し神様の前にあって聖なる者(聖徒)という立場をいただいています。
II. クリスチャンは信仰によって生きる
信仰によって歩む(IIコリント5:7):イエス様と物理的に離れているクリスチャンは、イエス様への信仰ゆえに生きることが可能です。まだ見たことのない天国の希望は、聖書が言っていることを信じ、その信仰に基づいて生きることによって得られるものです。
その昔アブラハムは、老夫婦に子供が与えられることに関して、神様が“偶然”や“可能性”という法則に反しても約束を守ってくださるお方であることを信じていました。(ローマ4:18-21)また、イサクをささげるようにとのテストにおいては、神様が(子孫繁栄の)約束を守るためには、(ささげたイサクが復活するという)奇蹟が起こらなければならないという結論に至ったのです。(ヘブル11:17-19)神様の“大いなる国民とする”、という約束について、アブラハムは生涯を閉じるまでの約100年間その信仰を試され続けたのです。
信仰によって護られる(Iペテロ1:5):クリスチャンの継続的信仰は、神様の護りの御力の証拠でもあります。神様の側では、ご自分が救った者たちをご自分のもとにおいて大切に保護していてくださるのです。
まとめ:イエス様を信じる信仰は人の永遠を変え、人生を変える
神様に対する罪を指摘され、それを悔い、神様の方に向き直ったクリスチャンの歩みは、継続的に良いものへと変えられていくことが想定されています。クリスチャンの救いの体験と同時に与えられる永遠のいのちは、目に見えるものではありませんが、イエス様を信じて歩き始めた人の生き様の変化は確認できるものとなります。そしてその変化、そして成長はいのちある限り続くものであり、またそうでなければなりません。家庭・学校・職場・地域・人間関係において様々な課題・問題が発生する中で、あなたは何を拠り所として歩んでいるでしょうか。自分の経験や知恵、或いは自身の精神力や有名な人のことばでしょうか。神様の方に向きを変えたクリスチャンが信頼するところはただ一つ、イエス様(神様)です。神様がどのようなお方であるか、イエス様は何をなされたかという聖書の真実が、そしてそれらのことを信じる信仰が、クリスチャンの考え方・見方・対応を神様が喜ばれるものへと整えていくのです。