3月23日 聖霊のみわざ

→クリスチャンの生活の一つの特徴は神様を意識して、神様に頼って生きるということです。それは本当の神様を知っている者だけができることです。しかし、クリスチャンであっても神様の存在とお働きに心を向けることなく「なりゆきに任せて」過ごしてしまうこともしばしばではないでしょうか。今回は聖霊なる神様が確かにイエス様を信ずる者達の歩み・活動の上に、そして中に働かれていることを学びます。(使徒の働き5:12-16)

①     信者を通してのしるし・不思議 (12節前半) →すでに見たように(2:43)、使徒達によって奇跡のわざがなされました。「使徒たちの手によって」とあるように、表面的には(人である)彼らが行ったのです。しかし、それは聖霊なる神様の存在とちからなくしては出来ないことでした。現在においても、神様はこのような奇跡を行うことがお出来になりますが、多くの場合において(現在)それが神様の御心を行われるメインの方法ではないと考えるべきではないでしょうか。クリスチャンは一般の人々が驚くような何かを今することはないかもしれませんが、みことばにより、ご聖霊により、そして神様の導きに従うことによって、変えられていくクリスチャンの生き様が、周囲の人々にとって一目を置かれるものとなり、良い意味において不思議な存在となるのではないでしょうか。

②     信者の一致 (12節後半) →このことについてもすでに見ました。(4:32-37) 人が集まって心を一つにすることは簡単なことではありません。また正しい動機で一致することも難しいことです。それはクリスチャンの集団の中においても例外ではありません。個々が自己中心的な思いを退け、みことばによって教えられる聖霊の導きに正しく応答することによってはじめて実現します。聖霊なる神様に委ねること、そして助けをいただくことが一致のためには不可欠です。

③     信者の明確な証し(13節) →アナニヤとサッピラへの罰があったことも影響してか、ある人々はあえて使徒達をはじめとするクリスチャンの集団に加わろうとしませんでした。このことは (1)クリスチャンとクリスチャンでない者の色分けが明確になされたことを意味するのではないでしょうか。信じる者も信じない者も、いい加減な信じ方では群れに加わることができないと認識していたのかもしれません。神様はすべての人をご自分のところに(救いに)招いておられますが、招かれた時の状態(罪を悔い改めていない状態)で居続けることをおゆるしにはなりません。教会は気軽に出入りできる場所であると同時に厳かな場所でもあり続ける必要があるのです。一方で (2)クリスチャンの集団に加わろうとしない人々からの尊敬を集めることにもなりました。クリスチャンは聖霊のお働きに自身を委ねることにより、生活が整えられ、一般の人々からの称賛に値するような存在でもある必要があります。

④     信者の増加 (14節) →救いが聖霊なる神様のみわざであるならば、救われる人が増えることも当然聖霊なる神様のみわざです。ここで筆者ルカは以前のように実際の人数を記してはいません。それは実際の数がどれほどのものであったか把握できない状態にあったのかもしれません。信ずる者が増えるということは、イエス様を主(主人)と認めて、イエス様に生涯従っていくという決心をした人が増えるということです。単に礼拝に出席する人が増えたとか、教会員が増えたとか、バプテスマを受けた人が増えたとかということを意味するのではありません。教会の人数は重要なことではありますが、イエス様に仕えていこうとする人数が本当に重要なことなのです。

⑤     信者を通しての癒し (15-16節) →①で触れたように、使徒達による奇跡は、病人の癒しや汚れた霊に苦しめられている多くの人々に対してあらわされました。苦しんでいる人々、そして彼らを使徒達のところへ連れてきた人々の行動が信仰の伴ったものであったかは定かではありませんが、少なくとも人々は「クリスチャンの所へ行けばいいことがある」という認識のもとに行動したようです。初代教会と呼ばれるこの時代(段階)において、聖霊のちからによって行われた使徒達による奇跡は、使徒達が語るイエス様についての証しを確かなものとする、重要な役割を果たしました。現代を生きるクリスチャンに必ずしも同じちからが与えられているわけではありませんが、完全な癒し主であられるイエス様を紹介することができます。人々が救われるのは時間のかかることかもしれませんが、クリスチャンは人々に良い意味においてあてにされる存在であるべきなのです。

まとめ:クリスチャンの歩み・奉仕は聖霊なる神様のみわざにより霊的に価値のあるものとなる →私たちクリスチャンはイエス様の尊い血によって買い取られた(救われた)という点から自身の価値を再確認しましょう。そうすれば自分を見て落胆したり、自分を見誤って傲慢になることから守られます。毎日を「普通に」生きてしまいやすい私たちではありますが、ご聖霊のお働きに心を向け、そのお働きに委ねる歩み・奉仕をするためにも、みことばを静かに黙想する時間を確保しましょう。

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