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母国を守るために立ち上がり闘う他の国の人々の姿が眩しく映る日本人は少なくないと思われます。外国に行ったり、外国人と接することがなければ、自分が「日本人であること」を意識することは乏しいかもしれません。しかし私たちに「愛国心」があるなしに関わらず、クリスチャンは「別の国籍」を持つ者として、その意識を強く持って生きる必要があります。天に国籍をいただいた者として、より大切にし、護らなければならないものがあるからです。今回はダニエル書からそれが何であるかを考えたいと思います。 (ダニエル1:1~21)
変えられない現実(1-7節):少年であったダニエルたちは、バビロンに連れていかれ、その国の哲学・宗教・魔術・天文学・科学・医学などを学ばせられました。彼らは名前もバビロンの神にちなんだものに変えられ、異教の文化と習慣の中で徹底的に“洗脳”されたのです。
私たちは「日本」という、太陽神崇拝から来ている名を持つ国に生まれました。パスポートには天皇家の紋章が付いており、公の年月の表記は、天皇家の元号を用いています。多くの事柄が異教とそれに関連することに結びついている中で生活することが余儀なくされています。
変えてはいけない信仰態度(8-16節):ダニエルたちは、(バビロン化される)異国の地ですべてを受け入れたわけではありません。まことの神様を信じる信仰に反することはしないと心に決めて臨んでいたのです。彼らは、できないことについては、礼儀を尽くして願い出ました。そして神様は彼らを護ってくださいました。信仰ゆえに、何かを拒絶する時、事がいつもスムーズに進むとは限りません。しかし好意的に扱われるにしても、迫害を受けるにしても、神様はご自分を尊ぶ者を尊んでくださいます。
変わることのない神様に仕える(17-21節):神様はダニエルたちに(バビロンの知者を超える)知識と知恵をくださいました。外国へ連れて来られたのだからと、あきらめて失望して過ごすのではなく、また自分たちの国を攻め落とした外国人に対して戦闘的になるのでもなく、与えられた務めを誠実に果たし、信仰を貫きました。場所は変わっても、まことの神様を信じ仕える姿勢は変わらなかったのです。
まとめ:私たちはこの国でまことの神様を信じ続ける
クリスチャンは、イエス様を信じるがゆえに、しないこと/避けることがあります。それは神様を愛するがゆえにしないことであり、できないことです。
私たちが置かれる状況には、私たちがコントロールできないものがあります。しかし状況が、私たちの信仰態度をコントロールしよう、変えようとするならばそれをゆるしてはなりません。
神様はご自分を信じ、ご自分を尊ぶ人の歩みを尊び、恵みを注いでくださいます。異教と異教の習慣の中で、クリスチャンを、イエス様の証人として用いてくださいます。また必要に応じて才能や能力をくださいます。
イエス様への信仰を貫くこと、それは世の中の人々とは違う生き方をするということです。それは日本人としてではなく、クリスチャンの信仰(価値観・考え方)を土台にして、その上で日本人として生きるということです。
クリスチャンは日本という国(の習慣や考え方)に取り込まれることをゆるしてもいけませんし、一方で戦闘的に振る舞うこともしてはいけません。神様のお考えに反しない限り、この国で誠実に生き、神様のお考えに反することについては礼儀を尽くしてその意思を示し行動していくべきなのです。