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凶悪な事件が起きると、“なぜ平気でそんなことができるのか”と思わされます。まことの神様を知る人と知らない人との大きな違いは、生活において神様を意識するかどうかです。クリスチャンも罪を犯すのですが、その場合でも“神様を知っている者としての良心”が働くのです。さらにクリスチャンは(積極的に)神様を恐れ敬う生き方を願うのです。
神を恐れつつ歩め:敬虔な生き方をする命令(17節):もしあなたがクリスチャンなら、神様が栄光をお受けになるような歩みをするべきです。それはまことの神様を知るクリスチャン、そして神様はクリスチャンの働きを公平に評価されることを知っているクリスチャンの生き方です。神様に対する尊敬の念に満ちた畏れをもって神様を認める、これが神を恐れる生き方です。救いをいただき、聖い立場を与えられた者として、この立場を汚してはならないとの注意深さをもって歩むのです。神様の知識の深さとさばきの公平さ(正確さ)を悟り、健全な恐れをもって生きるのです。この世が永住の地であるかのような生き方はクリスチャンにとって相応しくありません。(以下のポイントでクリスチャンの敬虔な生き方の理由を述べます。)
神を恐れつつ歩め:それは贖いのみわざの代価ゆえ(18-19節):あなたはキリスト様の血によって贖われました。(Iテモテ2:6)クリスチャンは罪の奴隷であったところから、また律法ののろいから贖われたのです。(過越の祭りで屠られる子羊のような)完全にきよいお方の血が罪人を解放したのです。解放(救い)のために、どんなに尊い血が流されたのかを深く黙想しなければなりません。かつての生き方に帰ろうとすることはいかに愚かで、どれほど神様を悲しませることでしょうか。
神を恐れつつ歩め:それは贖いのみわざの超自然的計画ゆえ(20節):キリスト様はあなたのために現れてくださったのです。救いのみわざは恵みの神様によるご計画によります。(使徒2:23; 4:28; IIテモテ1:9)キリスト様は罪人を贖うために「この終わりの時」に肉体を取ってこの世界に来られたのです。
神を恐れつつ歩め:それは贖いのみわざの確かさゆえ(21節前半):キリスト様はあなたのためによみがえらせられたのです。父なる神様は栄光ある地位を御子に与えることにより、そのみわざが完全に満足されたものであることをお示しになりました。それは世界が始まる前から共有された栄光を(昇天されたお方に)お返しになったということです。
神を恐れつつ歩め:それは贖いのみわざの実ゆえ(21節後半):あなたはキリスト様によって神様を信じ希望を置いているのです。キリスト様は、父なる神様とその御心(神様のメッセージ)を明らかにするお方です。あなたはこのお方をとおして神様を知り、信じ、望みを置いているのです。
まとめ:贖いのみわざを知る者は畏敬の念を抱きつつ歩む
贖われた(買い戻された)ことの偉大さを認識しましょう。贖われた者(救っていただいた者)として、その尊さを知っている者として相応しく振舞いましょう。父と呼ぶ神様の前にあるあなたは、クリスチャンとして緊張感のない(甘く軽率な)歩みはゆるされていないことを覚えましょう。敬虔な歩み(神を恐れる歩み)の原動力は神様の公平さ、そして神様の贖いのみわざの尊さにあります。
神様からの救いの恵みはクリスチャンに対して敬虔な歩みを教えています。(テトス2:11-13)もうしばらくの地上での時間を、救いの恵みを感謝しつつ、神様を畏れ敬いつつ歩みましょう。