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ペテロは2:1-10でイエス様にお仕えする正しい態度(姿勢)について語っています。みことばに対して、イエス様に対して、召しに対しての姿勢がそこに含まれています。クリスチャンの心の問題には、情熱の欠如、自己依存、そして世に対する嫉みが含まれますが、ペテロはそれぞれの問題に肯定的な代替案を提供しています。みことばに対する正しい願望、イエス様に対する正しい態度、そして与えられた召しへの感謝です。今回は(先ず)みことばに対する正しい願望について学びましょう。
みことばを慕う前提(1節):クリスチャンは永遠の神様のことばを受けたのですから(1:23-25)生活の中で取り扱うべきことがあることをペテロは指摘します。罪を捨て去ることです。これはクリスチャンが成長するために欠くことができないことです。罪深い態度・ことば・行動は成長と(効果的な)奉仕を妨げます。悔い改めにより、罪がきよめられていく時、みことばは本来の役割を果たすことができるようになります。みことばにより新しく生まれた者は、悪意(邪悪な考え)、偽り(そしてそこから派生する偽善)、ねたみ(そしてそこから派生する悪口)から離れなければならないのです。
みことばを慕う命令(2節):みことばを強く切望することが求められています。霊的成長は常に、真実に満ちたみことばへの執着と喜びで特徴付けられます。それは乳飲み子が母乳やミルクを強く求めるような姿勢です。みことばに対する飢え渇きと願望は、(クリスチャンとしての年数に関係なく)老いも若きも信仰者としての特徴となるべきです。みことばの真実は聖霊の助けにより魂に栄養を供給します。みことばは霊的ちからの源です。みことばはクリスチャンに恵みを与え、クリスチャンの信仰を建て上げ、クリスチャンの聖さを励まします。またクリスチャンのあらゆる場面における選択/決定において知恵の源となります。みことばには汚れ、欺き、不誠実さがまったくなく、良いもののみ(健康と霊的強さ)をもたらします。クリスチャンがみことばに満たされているならば、それは言動となってあらわれてくるでしょう。
クリスチャンは次の方法によって、みことばを慕う心を培うことができます。①自身の霊的いのちの源を覚える(1:25; イザヤ55:10-11; ヨハネ15:3; ヘブル4:12) ②生活から罪を取り除く(1節) ③神様の真実の必要を告白する(2節) ④霊的成長を追い求める(2節) ⑤神様からの祝福を数える(3節)
みことばを慕う動機(3節):ペテロはすでに得た経験がみことばを慕う動機となることを語っています。イエス様は良いお方であり、恵み深いお方です。
クリスチャンであるならば、救われた時(信頼する者に対して)神様がどんなにいつくしみ深いかを経験したはずです。この事実は、みことばを追求し、さらなる恵みを求める動機付けとなるべきなのです。(詩篇34:8)人が救われる時、イエス様の恵みの豊かさの経験がスタートしますが、すべてのクリスチャンがみことばに従うことをとおして神様の祝福を追求し続けていくべきなのです。過去における祝福の記憶は、霊的欲求・願望を生じさせます。クリスチャンがみことばを信じて従うと、神様の祝福を経験します。するとさらにみことばを慕うようになるのです。クリスチャンは、みことばにより、神様と神様の御心を知る欲求を自身の中に“耕す”必要があります。これはクリスチャンが神様に効果的にお仕えするために重要なことです。
まとめ:みことばを慕うクリスチャンはイエス様に似た者へと変えられていく
クリスチャンの歩みは、“捨てるべきものを捨て、身に着けるべきものを身に着けていく”プロセスです。信仰者として、吸収すべきものを執拗に吸収していくならば 結果は間違いのないものです。悔い改めによって悪い思い・ことば・行いを徹底して捨て、聖書のみことばを貪欲に豊かに慕い求め受け取り従うことです。それによりクリスチャンの歩みをとおして、救いの素晴らしさがあらわされていくでしょう。救い主イエス様の素晴らしさがあらわされていくでしょう。いつくしみ深いイエス様が証しされていくでしょう。あなたはみことばを慕い求めていますか。まず信仰者として正しい欲求が与えられるように祈りましょう。