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「今年のクリスマスにしたいこと」について書かれているネットのサイトがありました。20の項目のどれもが、自分へのこと、或いは人へのことでした。クリスマスがイベントの一つとして認識されている以上、多くの人々の考えや行動が自分中心になることは必然です。クリスマスは神の御子であられるお方がこの世界においでになったことのお祝いです。今回あらためて、イエス様が来てくださった理由のいくつかを確認したいと思います。
*神を示すため(ヨハネ1:18)-最初の人間が創造された直後、人は神様について必要なすべてを知り、神様との交流を喜び楽しんでいたのです。しかし、人は神様との関係を決定的に傷つける選択をしました。人が人としての立場に満足できず、神様に反抗し、その結果、人はまったく落ちぶれ、神様の祝福の対象ではなくなってしまったのです。神様との関係が壊れ、神様から離れざるをえなくなった人間は、神様がわからなくなりました。自分が存在する上ですべてを神様に依存している人間にとって、神様との関係が断たれたことは悲劇です。神様を知らなければ神様との交流を望むことはありません。神様との交流がなければ、人間は幸せになれるはずがないのです。しかし、人が神様を知り交流することができる方法が回復されました。神であられるお方が人となられたのです。これにより、神様を見えるかたちで知ることができ、身近で関わることができるようになりました。イエス様が語り実行されるすべてのことは、神様がどのようなお方で、何をなさるかを説明したのです。赤ちゃんとしてお生まれになったイエス様は、人としての生活をされ、教えと模範によって神様を紹介されました。そしてご自分の死と復活によって、人と神様との関係(交流)の回復を実現されたのです。
*人の罪を取り除くため(ヘブル9:26)-神様の側は御子イエス様が肉体を取ることにより(ある意味において)人に近づくことが可能となりましたが、人の側の最大の問題である罪が処理されない限り、人と神様との間の究極的至福の関係は成り立たないのです。罪とは、神様に対する間違った態度・生き方です。その心から様々な悪の行動が発生します。罪を持っている人間は、死と死後の刑罰、そして苦しみ・悲しみ・苦労の人生を余儀なくされます。人は、祝福の源とのつながりを自ら断ち切ったため、良いことは手に入れられなくなったのです。しかも悪いことに、罪を持っている人間は、罪が問題だとわかったとしても自らそれを解決できないのです。罪の問題がわからなければ、罪の結果の恐ろしさもわかりません。神様がいかに罪を憎まれるかもわかりません。様々な負の経験をしても、自分を省みることができないのです。そしていつかやってくる死の現実と向き合うこともしません。皆経験すること、というあきらめや、きっと美しいもの、という根拠のない自信や、考えてもわからないのだから、と今を生きることに集中しようとします。しかし、イエス様は人の罪を取り除くことがお出来になります。
神様を示すために来られたイエス様は、神様の完全さを示し、人の不完全さと罪を浮き彫りにし、その完全な解決の道となってくださったのです。ご自分が犠牲になることによって、人の罪を赦し、罪の束縛から解放し、神様のために生きる者へと変えてくださるのです。イエス様は、罪人が負うべき結果(刑罰)を自ら負われ、永遠の赦しを実現してくださいました。罰を受けることなく、神様と交流ができ、神様のお役に立たせていただけるのです。これが罪を赦していただいた者の祝福です。
*悪魔のわざを壊すため(Iヨハネ3:8)-悪魔とは、もとは神様によって創造された天使でしたが、神様のようになることの野心と高慢さゆえに堕落した存在です。悪魔は、人がまことの神様を信じ従わないようにあらゆるかたちで妨害を試みます。偽り者である悪魔(ヨハネ8:44)は、人の心からみことばを取り去り(ルカ8:12)、人の心自体を奪い(使徒5:3)、誘惑し(Iコリント7:5)、人々の思いを暗くして、神様のかたちであるイエス様の栄光に関わる福音の光を、輝かせないようにしています。(IIコリント4:4)さらに悪魔は、人に対して策略を巡らし(エペソ6:11)、妨害し(Iテサロニケ2:18)、告発するのです(黙示録12:10)イエス様は、肉体を取り、苦しみを受け、血を流し、死ぬことによって(また復活することによって)悪魔のわざを破壊してくださいました。このことは最初の人が罪を犯した直後から約束されていることです。(創世記3:15; ヨハネ12:30; 16:11; ローマ16:20; ヘブル2:14)悪魔はなお活動していますが、イエス様によって打ち負かされたので、クリスチャンはその圧政から解放されています。やがてこの世界におけるすべての邪悪な活動は終わりを告げ、悪魔は地獄へ送られるのです。
まとめ:イエス様が来られたのは私の究極の幸せのため
この世界を造り支配しておられる神様を抜きにして、存在している人、生きている人はいません。最初の人アダムが未だ罪をもっていなかったときでさえ、神様への依存の中で生きていたのです。神様に造られた私たちにとって、造ったお方を知ることは重要です。このお方を知るなら、神様が指摘しておられる罪がわかるようになります。罪がわかると、神様が提供しておられる救いがわかるようになります。そして神様からの救いを手にすると、幸福の定義が正しいものになります。イエス様において神様はあらわされました。そして肉体を取られたイエス様と同じ時代を生きた人々によってその事実は記録されました。その書物(聖書)によって、 私たちは神様を知ることができたのです。そしてすでに悪魔に勝利されたイエス様が、完璧なかたちで滅ぼしてくださいます。私たちがイエス様に依存する限り、悪魔に対する勝利の歩みができるのです。