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ペテロは今回の箇所で偽教師の性質と振る舞いにおける様々な側面を説明していきます。それらは以下の4つです。
尊大/横柄(10節後半~11節):偽教師たちは、がんこで、強情です。どのようなことをしてでも自身を喜ばせようとする者たちです。“私は私の方法でやる”というのが彼らのモットーです。彼らは権威への高慢さと反感を示す存在です。一方(良い)天使たちは、そのような中で、(尊大な者達と比べ、より強い存在でありながら)堕落した天使たちを主の前で訴えません。高い権威に反抗的である偽教師たちとは違い、聖い天使は主をあがめ、あらゆる権威に対して無礼をはたらかないのです。天使長ミカエルがその良い例です。(ユダ8-9)偽教師たちには、天使でさえ躊躇したことをしようとする厚かましさがあります。
野蛮性/肉欲性(12~13節前半):彼らは肉体的に存在してはいても、道理のわからない、知的ないのちがない、けもののようです。偽教師たちは、霊的な力や存在への敏感さに欠けており、野生の動物のように横柄で反抗的で高慢です。自身が理解していない霊的な領域で人や物を悪く言います。彼らには(神のいのちがなく)神様のことば、方法、みわざに対する理解がありません。彼らは自制ができず、欲望を満たすことが存在目的のように生きています。彼らは本能以上のものを手にいれることはできず滅ぼされます。動物のように生きることを選んだ彼らは動物のように死ぬことになるのです。自身が与えた危害のために、(その報いとして)危害を受けるのです。
酒色/放蕩(13節後半~14節前半):彼らは肉欲的な満足を価値あるものとし、放縦と酒色にふけるのです。通常恥ずかしい行為が含まれることから、夜の活動と理解されることを、彼らは大っぴらに昼間からします。彼らはクリスチャンの交わりの中にも入り込み、高慢と不道徳な振る舞いをし、宗教的な会話によって腐敗を隠そうと努めます。彼らは、遊興、浪費、放蕩という贅沢な生き方をします。さらに偽教師たちは、姦淫をする女性を探しまわり、クリスチャンの集まりを放蕩や遊興の場にしたいと思っています。それは常に罪を探す生き方、欲望によって制御できなくなっている生き方です。彼らは、信仰と鍛錬において確かな土台がなく、恥ずべき振る舞いや誤った教えによって不安定になっている弱い信仰者に対して、えさを使ってわなを仕掛けるのです。
貪欲(14節後半~16節):偽教師達は、貪欲においての専門家です。情が欲するところ(の禁じられているもの)に集中することのために訓練され、準備され、鍛えられているのです。彼らは、のろわれた生き物であり、神様ののろいは彼らの上にあります。偽教師はミディアン人預言者バラムに似通っています。いずれも、まっすぐな道、つまり神様に従う道ではなく、誤った道に行くからです。バラムは神様に従うことよりも金を愛し追求しました。(民数記22:5-24:25; ユダ11)神様への忠実さや従順よりも、富と評判に執着したのです。彼は不道徳を教えました(黙示録2:14)偽教師たちは、聖書の道から逸脱し、バラムの間違いへと向かって行ったのです。そこには、金銭ずくの貪欲さと性的不道徳があります。バラムは、ろばによって、また主の使いによってとがめられました。彼は自身がなすべきであると知っていたこととは違うことをしたのです。皮肉にも、ものが言えないはずの動物の方が預言者よりも霊的洞察力をもっていました。ろばのバラムに対する不従順によって、“狂気の沙汰”から守られたのです。
まとめ:偽教師は人のすべてを破壊する
異端(偽教師)は人の人生を狂わせるのみならず、永遠を悲劇的なものとします。(知らず知らずのうちに入り込んでくる)異端の教えに敏感になり警戒し万全の対策をしましょう。聖書のみことばの真実を受け身的ではなく積極的に追求し自分のものにしましょう。みことばを知るだけでなく、信仰の歩みで実践しあらわしましょう。(偽教師を通しては、やってこないかもしれませんが)なお罪の性質を持っているクリスチャンのスキを探している悪魔の働きと誘惑(侵入)に対して、イエス様とみことばに頼ることによって勝利しましょう。