キリストにあるいのち(ローマ5:15~17)

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最初の人アダムの罪によって、全人類に対して罪の宣告(有罪判決)がなされました。一方、イエス様による贖いのみわざにより、義認は世界的に適用されることとなりました。パウロはこの2点を比較し、類似点(影響力)と相違点(行為の性質と結果)を交えて述べていきます。
パウロは(12節から)、“すべての人が実際に罪人であるということは、どのようにして起こったのか”という問いを深堀しています。パウロは、アダムにまで遡り、彼がしたことは全人類に(罪と死に関わることにおいて)影響を及ぼした、と答え、その上で、この悲劇に対する、イエス様によって実施された対抗措置を提示し、すべての人がこの恩恵に与ることができる可能性を示すのです。

*アダムVSキリスト:行為の程度の比較(15節)
イエス様がしてくださったこと(恵みのあらわれ)は、アダムの行為よりもすべての面において偉大です。アダムの罪(違反)はすべての人に死をもたらしました。しかし、イエス様のみわざは、神様の恵みを多くの人に満ちあふれさせることになりました。イエス様による恵みの行為は、アダムのしでかしたことよりも力強いのです。イエス様の贖いのみわざは、アダムの、罪に定められる行為よりも、計り知れないほど偉大なのです。
アダムゆえ、すべての人は例外なく罪の責任を負っており、死ぬ運命にあります。一方、イエス様ゆえ、信じるすべての人に恵みによる救いが適用されます。
アダムの罪は、人間の行動/働きの本質であり、厳しい責任追及がなされるものですが、イエス様のみわざは、まさに贈り物です。これは、神様主導でなされることであり、神様の無償の恵みによるものです。人は(獲得するのではなく)ただ受け取るのみなのです。

*アダム VS キリスト:行為の結果の比較(16~17節)
アダムは断罪/さばきをもたらしましたが、イエス様は義をもたらしました。(16節後半)アダムは死をもたらしましたが、イエス様はいのちをもたらしました。(17節)

アダムゆえの断罪/さばき VS キリストゆえの義(16節後半):
アダムの一つの罪(違反)はさばき(有罪:罪に定められる評決)をもたらしました。一方、イエス様の恵みのみわざは、多くの違反が義と認められることとなりました。これは恵みによる救いであり、神様から授けられた祝福です。神様から有罪判決を受けていた人が、義認を宣告されたのです。
アダムはたった一つの違反(意図的な不従順)によって、有罪宣告(罪の定め)をすべての人にもたらしたのですが、イエス様は、多くの違反ゆえ有罪宣告を受けている人たちを救われるのです。それぞれの行為の結果が正反対であるだけでなく、イエス様にある、神様のみわざの恵み深さが(一人ひとりの行動における罪の数を考える時に)なおいっそう明らかになります。一つの不正行為が裁判において説明を求められることはもっともなことです。一方、積み上げられたすべての時代の人の罪とその責任が、神様の無償の賜物によって対処されたことは、奇蹟中の奇蹟であり、完全に人の理解を超えるものです。

アダムゆえの死 VS キリストゆえのいのち(17節):
アダム一人の罪は、死の支配をもたらしました。一方、イエス様の恵みのみわざは、いのちにあって支配することを可能にしました。ここに希望と励ましのメッセージがあります。
アダムの罪は、世界的に死をもたらしました。これはアダムが期待したものとは真逆の結果です。蛇がエバに約束したこととは正反対です。(創世記3:5)
イエス様のみわざは、このアダムの罪の影響を抹消するのみならず、アダムにおいて失った以上のもの(そしてアダム自身が持っていた以上のもの)を提供することとなりました。
イエス様を信じた人には神様の義が転嫁されています。(IIコリント5:21; ピリピ3:8~9)イエス様の犠牲を信じて救われた人には、王となり、王として治めるという約束が与えられています。(黙示録22:5)イエス様のみわざは(アダムの行為のようではなく)、意図されたように果たされ、これからも果たされていきます。イエス様を信じた人は、死の支配から解放されただけでなく、永遠の喜びと楽しみを約束されています。このことを理解し、感謝し、この立場に相応しく生きる必要があります。

まとめ:神の恵みは人の罪を圧倒する

アダムは、罪を犯し、すべての人を罪と死に招き入れました。イエス様は、恵みと義の賜物を罪人に惜しみなく与え、死の支配から解放し、ご自身を通していのちに生きることを可能とされました。
神様の恵みの特徴は、満ちあふれていることです。(エペソ1:7)救いの恵みは、“天国へ行く”以上のことです。イエス様を信じることによって与えられる恵み、良いもののすべてを私たちは未だ知らないのです。(エペソ3:20)
アダムの罪の結果は(人の意思に関係なく)自動的に絶望をもたらしましたが、イエス様による救いは、自動的にはもたらされません。神様からの救いの賜物は、受け取ることを必要とします。つまり、イエス様を自分の救い主と信じることによってのみ、神様の恵みは、その人個人にとって恵みとなるのです。

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