11月10日 主の御名による奇跡

生まれつき足が不自由で神殿の「美しの門」に毎日置いてもらっていた男性が奇跡によって癒されました。ペテロの呼びかけに応じただけのこの男性が、歩き始め、踊りだしたことは、彼の存在を知る人々に大きな驚きを与えました。今回はこの奇跡のちからの源についてペテロが説明する場面を考えてみます。(使徒の働き3:11-16)

①それは神の御子によるみわざ (11-13節前半) →まずペテロはこの奇跡が自分達のちからや信心深さによって起こったのではないことをはっきりさせました。確かにこの生まれつき足が不自由な人に声をかけ、手を差し伸べたのはペテロ達でしたが、不自由な足が自由になるちからは別のところから来たのです。それは神の御子イエス様、メシヤであられるお方のちからでした。神であられるイエス様のちからがペテロ達によってあらわされたのです。

②それは罪人が拒絶したお方のみわざ (13節後半-15節前半) →ペテロは御子イエス様がどのようなお方であるのかを説明しました。ペテロは人々に“あなたがたはこのお方を殺した”と痛烈な指摘をしました。当時の指導者ピラトが再三にわたりこのお方の無罪を主張し、釈放しようとしたにもかかわらず、人々は断固としてイエス様の十字架刑を求めました。神の御子であられ、完全に聖く、完全に正しいお方を罪人(ざいにん)として扱ったのです。神であられ、いのちの源であられるお方のいのちを奪ったのです。

③それは死から復活されたお方のみわざ (15節後半) →人々に拒絶され殺されたイエス様は死んでしまわれただけではありませんでした。三日目に死から復活され、ご自分が神であられること、罪のない方であられることをあらわしてくださいました。ペテロ達は復活のイエス様にお会いした目撃者です。「いのちの君」であられるお方はいのちを支配されるお方であり、死に縛れることのないお方なのです。

④それは信ずる者におこなわれるみわざ (16節) →ペテロは人々が十字架につけたイエス様、そしてよみがえられたイエス様のお名前が、この足の不自由な人の足を治したと説明しました。イエス様のお名前は、イエス様が神であられること(神性)、そして神としてのちからをあらわしています。足が不自由であった男性はイエス様のお名前を信じました。神であられるお方のちからにお頼りしたのです。ペテロを通してなされた神様からの呼びかけに信仰で応答したのです。この信仰さえイエス様によって与えられたものです。そしてこの男性はイエス様からの完全な癒しを経験しました。彼は肉体的な部分だけでなく、もっと大切な霊的な癒しを受けることができたのです。

まとめ:主の御名によるわざは主に栄光が帰せられる →今回の記事は、イエス様が神として偉大なちからをもっておられることがあらわされていますが、そのちからは人間の霊的な部分にも有効であることを教えています。イエス様は誰もが必要としている霊的いやし(救い)、死後の永遠の問題の解決を与えることがおできになるのです。クリスチャンはすでにイエス様のちからによって、そのみわざによって新しく変えられました。クリスチャンが何か良いことができ、イエス様のために働くことができるとするならば、それはイエス様による救いのみわざの結果です。そして日々経験している祝福は(それがたいして大きなことではないと思われるようなことであっても)イエス様からのものであり、イエス様のお名前によるのです。そのことを常に覚え感謝し、イエス様の素晴らしさを周囲の人々に表現する(証しする)人とさせていただこうではありませんか。

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