毎年のことですが、イエス様がお生まれになったことをお祝いするクリスマスと年末とは時期が重なり、何だか気持ちに余裕が感じられないと思う人も多いのではないでしょうか。そのような中でも、神様の不思議なみわざであるイエス様のご降誕について静かに考えてみることは大切なことです。今回と次回の学びでイエス様のご降誕の奇跡を意味・方法・目的という視点から考えてみます。
①神様が人となられた(イエス様の受肉) (ヨハネ1:14,18、ピリピ2:5-8、ヘブル2:14)
→イエス様がお生まれになったことは先ずその意味するところにおいて奇跡であったと言えます。イエス様がお生まれになったということは、神であられるお方が人となられたということです。これを受肉と言いますが、このことは(A)イエス様が人間の理解を超えたご存在であることを意味しています。お生まれになったイエス様は100%神様の性質を持ち、100%人間の性質を持ち、それでいてひとつの人格を持ったお方なのです。イエス様が人となられたことは(B)イエス様が神であられることを前提としています。聖書は使徒ヨハネ・使徒パウロ・ヘブル書の筆者・使徒ペテロ達を通してイエス様の神性を語っています。そしてイエス様の受肉は(C)イエス様が人間の理解を超えた変化(不都合)を経験されたことを教えています。人間にとって「普通のこと」である時間・空間の制限、能力・理解の制限、罪の世界との接触等がどれほど忍耐を必要としたものであったか、想像することはできません。イエス様は罪を犯すこと以外において、人間とすべてのことを共有されたのです。
②処女から誕生された(イエス様の処女降誕) (マタイ1:18-25、ルカ1:26-38、2:1-7)
→イエス様がお生まれになったことはその方法においても奇跡であったと言えます。聖書はマリヤが聖霊によってイエス様を身ごもり出産したと述べています。それは(A)イエス様にとって相応しい誕生の方法でした。イエス様はその後の地上での生活で奇跡を行われました。また十字架にかけられ死なれたイエス様は復活され、天に昇っていかれました。イエス様がこれらの不思議な行動をされたことと、イエス様が処女を通してこの世界にお生まれになったことは見事に調和するのです。イエス様の処女降誕は同時に(B)イエス様の神性を示す方法でもありました。神様は全能であられるという点においては、他のどのような方法によってもイエス様を生まれさせることが可能でしたが、神様の御心という点からはこの方法でなければならなかったのです。それは罪のないお方としてお生まれになることも含んでいたのではないでしょうか。また罪人を救い、新しく生まれさせてくださるお方として必要だったのではないでしょうか。このことは(C)人間の理解を超える方法であったことは確かです。神様はあえて、人間が困惑するような方法をお取りになりました。当事者であったマリヤとヨセフの苦悩はいかばかりのものだったことでしょうか。しかしこれが神様の方法でした。そしてこの方法がベストであったことは事実です。
まとめ:イエス・キリスト様のご降誕の不思議さを覚え神様を賛美しましょう →イエス様がお生まれになったことは本当に不思議なことばかりです。人間には理解できないさまざまなことが含まれています。神様の偉大さを覚えようではありませんか。このお方の前にひれ伏し、賛美しようではありませんか。これらの不思議な一つひとつの事が私たちの永遠に続く幸せとつながっているのですから。