今回はマルコの福音書13:9-13から前回と同じ「来るべき苦しみ」について考えました。
前の段落ではやがて地上(世界)で何が起こるかについて語られていましたが、この段落ではより個人的にどのようなことが起こるかが語られています。そして一人ひとりがその事を認識し「どのようにして安全に過ごすか」ということよりも「どのように対応するか」を教えています。
①それは現実です。此処に記されていることが全員に例外なく起こるということではありませんが、すでに世界では部分的に起こっており、身近なところでもそれらのことがこれから起こってくることを想定している必要があります。あるクリスチャンはその信仰を理由に迫害されます。逮捕され、暴力を受け、辱めを受ける可能性もあります。また家族が争い、分裂することもあります。そしてクリスチャンは多くの人を敵にまわしてしまうこともあるのです。
②それはイエス様に対する信仰を表現する証しの時でもあります。本当の神様を知り、イエス様を信じたクリスチャンにとって「来るべき苦しみ」は単なる辛い経験ではありません。それは私たちが信じるイエス様を人々に伝えるチャンスでもあるのです。私たちがクリスチャンであるから苦しみを経験するとしたら、それは「イエス様のため」であるからです。クリスチャンは一人でガマンしなければならないのではありません。神様がそのような状況の中でサポートしてくださり力強く生きる姿を人々に示すことができるようにしていただけます。また、たとえイエス様への信仰が理由で捕まえられるようなことがあったとしても、それはイエス様のこと・福音を伝えるチャンスとしてとらえることができます。イエス様を信じない人との問題が生じないことを私たちは望みますが、避けられないこともあります。そのような時は(相手が聞いてくれるかわかりませんが)自分の信じるイエス様の素晴らしさを表現するチャンスであることを覚えておきましょう。
③それは期限付きです。やがて来る永遠の幸せを約束していただいているクリスチャンにとって地上における経験は(苦しみを含めて)すべて通過点にすぎません。苦しみの「終」は必ずやってきます。そして「終」が来るという事実は私たちに忍耐力を与えます。クリスチャンは苦しみを経験する可能性がありますが、それを耐え忍ぶことにより自分自身が救われていることを証明することができます。私たちは神様が用意してくださっている永遠という祝福を遠くに見ながら、今日という近くの苦しみに忍耐をもって対応していくことができるのです。
2012.6.10のランチ→
(シチューをいただきました)