3月7日 復活の主のことば

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https://youtu.be/YPr8n40n_0o

クリスチャンも皆やがて死を迎えるわけですが、それで「人生の物語」が終了するわけではないことは本当にすばらしいことです。罪の問題が解決し、死後永遠の幸いが約束されていることは何と感謝なことでしょう。それはすべて、イエス様の死と復活によります。復活のイエス様にマグダラのマリヤは最初に会うことがゆるされました。今回はマリヤにご自分をあらわしてくださったイエス様のことばから学びたいと思います。(ヨハネの福音書20章11~18節)

I. “泣かなくてもいい”(11~15節)
弟子のペテロとヨハネは帰りましたが、マグダラのマリヤは墓の外に立っていました。彼女は泣いていました。そして泣きながら墓の中をのぞきこむと、二人の御使いが座っているのが見えました。御使いに涙の理由を尋ねられたマリヤは、2節で弟子たちに伝えたこととほぼ同じことを話しました。彼女にとっては、主の十字架の死だけでも衝撃的で耐え難いものであったと思われますが、イエス様のからだの「紛失」は彼女を一層苦しめたことでしょう。
彼女は後ろを振り返ったのですが、そこにイエス様がいることを認識できませんでした。イエス様は彼女に、御使いたちと同じ質問をし、誰をさがしているのかを尋ねました。イエス様は情報を求められたのではありません。イエス様は質問を投げかけることによって、彼女に寄り添い、彼女の正直な思いを受け止めておられるのでしょう。また同時に、彼女が探している存在がどのようなお方か、“死んでそれで終わり”のお方かを考えさせておられのでしょう。イエス様はこれらの質問によって、“泣かなくてもいいんだよ、究極の安心があるんだよ、あなたには泣く理由がまったくないんだよ”と伝えようとされているのではないでしょうか。
現実を知らないマリヤは、イエス様が遺体についての事情を知っている人であると思い、引き取りを申し出ます。彼女の中では、「引き取り」をどのようにするかということは問題にはなっていないようでした。

II. “私はここにいる”(16節)
イエス様は、マリヤを名前でお呼びになりました。瞬く間に彼女の目の前の霧は晴れました。最初、目では認識できなかったイエス様を、耳で認識したのです。彼女にとってそれは聞き覚えのある響きだったことでしょう。彼女が返した「ラボニ」という表現は、“私の親愛なる主”といったところでしょうか。マリヤに声をかけられたお方は、イエス様のからだの場所を知っているどころか、主ご自身であったのです。イエス様の呼びかけは、究極の救い主がおられること、共におられることの現実を確認させられるのです。イエス様はあなたの名前もお呼びになり、“私はあなたと共にいるよ”と言っておられるのです。イエス様が共におられる現実に安心するようにと言われているのです。

III. “私のことばを伝えなさい”(17~18節)
イエス様は、再会を大喜びしたであろうマリヤが、ご自分にまとわりつくことをおゆるしにはなりませんでした。マリヤにしてみれば、イエス様を「再び失いたくない」という思いがあったでありましょう。イエス様はその理由について、父なる神様のもとにまだ上っていないことをお語りになりました。イエス様が仰ったのは、ご自分がこれから天に(父なる神様のもとに)昇っていかれるのではあるが、今すぐ姿を消すわけではない、それゆえ(これで終わりであるかのように)私にしがみつかなくてもよいという意味であったのかもしれません。或いは、前のようにマリヤが肉体的な意味でイエス様を知るのではなく、イエス様の昇天の後に遣わされる聖霊を通して、イエス様がご自分を信じる者たちの中に臨まれ(住まわれ)、信者はイエス様をより豊かなかたちで知ることになるという意味で言われたのかもしれません。
マリヤは、復活され昇天されるイエス様について弟子たちに伝えるようにと指示されます。イエス様は弟子たち(信者)をここで「兄弟」とお呼びになりました。それは今までにはなかったことです。イエス様の十字架ゆえに、新しい関係が誕生したのです。イエス様は父なる神様の永遠の御子であられます。そして御子を信じ受け入れた者はその家族になることができます。御子イエス様はそのご性質と権利ゆえ、父なる神様との関係をもっておられますが、イエス様を信じたクリスチャンは、“養子縁組”と神の恵みによって子どもとしての立場を与えられているのです。
マリヤは「証人」として弟子たちのもとに遣わされました。究極の安心と究極の救い主を得たマリヤが主のために動きだしたのです。“あなたも私は用います”とイエス様は言われます。マリヤと同じようにイエス様の証人となり、イエス様のために生きる者となることができるのです。

まとめ: 復活の主は、信じる者を霊的に生かす
特定の組織や集団に属している意識のことを帰属意識と言います。この意識が高いと、他の人の仕事も自分の仕事ととらえ、メンバーを積極的に手伝い、主体的に取り組み、高い動機付け(モチベーション)を保ち、容易に投げ出すことをしないと言われます。あなたの主への帰属意識(主に属している意識)はどうでしょうか。救われていることの幸い、イエス様が共に歩んでくださることの幸い、イエス様のものとして生きる幸いを実感しているでしょうか。(マグダラのマリヤがそうであったように)クリスチャンは、イエス様への帰属意識がなくなると、平安が失われ、着実な歩みができなくなってしまいます。共にいてくださるイエス様を見失うと霊的に無気力にもなるでしょう。
復活のイエス様に目を留めましょう。救いの事実、イエス様が共におられること(臨在)の事実を認識し、同時にイエス様からあなたに(何らかの)役割が与えられていることを認識しましょう。

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