聖書は特別な書物です。聖書は歴史において、最も迫害を受けた書物であるだけではありません。聖書は最もよく売れている書物でもあります。年間4億冊以上も出版されているベストセラーです。また最も数多くの言語に翻訳されている書物でもあります。約二千五百の言語に翻訳されています。そして人類の歴史に最も影響を与えている書物でもあります。国の在り方や人の思想、そして芸術や文化にも多大な影響を与えているのです。
この特別な書物である聖書を、今回はその権威という点に注目して学びたいと思います。
I. 聖書の権威:みことばは命令である(申命記4:1~2、12:32)
聖書のことばには神様の命令が含まれます。それは読む人が聞いて行うことが求められていることを意味します。モーセはイスラエルの人々と神様との間に立って、神様の命令を伝達する役目を果たしました。(申命記5:1; 6:1; レビ記18:4)
神様からの命令には、それに従う者への祝福の約束が伴います。神様はご自分の民を祝福しようと命令を与えておられるのです。
命令を受ける側の人は、そのとおりに従うことが求められています。神様からの命令(律法)を変更することは、命令をお与えになった神様の権威の上に自分を置くことになります。私たち、聖書のことば(命令)を与えられている者たちは、聖である神のことばに付け足したり、省いたりすることなく実行すべきなのです。(箴言30:6; 黙示録22:18-19)
II. 聖書の権威:みことばにはちからがある
神様のことばには超自然のちからがあります。それは、神様が直接あらわされるものもあり、人を通してあらわされるものもあります。
さばくちから(エレミヤ5:14; 23:29; へブル4:12):神様のさばきのことばが火としてあらわされ、また岩を砕く金槌としてあらわされています。神様は、ご自分の民をさばき、また偽りを語る預言者を圧倒されます。神様のことばは、人に罪を自覚させ、回心へと導きます。信じ受け入れる者には慰めとなり栄養となりますが、信じない者には、さばきの道具となります。神様のことばには、人の心を切り裂いて正しく評価するちからがあるのです。
生かすちから(エゼキエル37:1-10):この章では、神様に従わず、落ちぶれ、霊的に死んでしまったイスラエル(ユダ)の人々がもう一度回復、再生されていく様子が描写されています。神様のことばは、それに従う者を生かすのです。ですから神様のことばに素直に従い実践することが重要なのです。(申命記4:1; レビ記18:5; エゼキエル20:11, 13, 21)
救うちから(ローマ1:16):この箇所で使われている「力」は、“ダイナマイト”の語源です。神様のことばのちからのみが、人の罪深い性質を圧倒し、新しいのちを提供するのです。(Iコリント1:18, 24; 2:4-5; Iペテロ1:23) 神様からの福音のみことばは、罪のある人間を本当の意味において救うことができるのです。疫病、戦争、貧困がなくなることは望むところではありますが、人の心の罪の問題が処理されることがなければ、本当の救いに到達することは決してないのです。
勝利のためのちから(エペソ6:17):イエス様を信じたクリスチャンの生涯は戦いの生涯でもあります。神様に敵対する悪魔は、様々な手法でもって、クリスチャンを攻撃してきます。クリスチャンは、防衛のための武具を神様からいくつかいただいていますが、攻撃の武器は唯一、神様のことばです。イエス様がそうであられたように、私たちも神様のみことばによって悪魔に対抗する時に、神様のみことばのちからが、私たちを通してあらわされるのです。
まとめ: 神のことばである聖書の権威を認める者に祝福がある
聖書のことばが神のことばであると認識する人は、聖書の権威を認める人です。謙って神様のことばに心を向ける時、神様が意図しておられるメッセージを受け取ることができます。人の側にこのような態度と姿勢がなければ、聖書は単なる書物の一つ、そして聖書から語られるメッセージは「人のお説教」となってしまいます。
聖書を読む時、聴く時には、神様からのことば(命令)として謙遜さをもって受け取りましょう。神のことばであるみことばのちからを体験し、みことばのちからに期待しましょう。そのちからを信じましょう。勝利ある信仰生活のために、神様のちからあるみことばで装備しましょう。