エペソの長老たちをミレトに呼んだパウロは、まず自分の過去の働きについて述べ、今後の覚悟を明言しました。(使徒の働き20:17~24)今回見ようとしている箇所(20:25~32)では、長老たちへの奨励(チャレンジ)の意味合いが濃くなっており、リーダー的な立場にいる人々への強い勧めが込められています。今回は、リーダーという肩書がある人にもそうでない人にも必要となる、人々を導く務めについて考えます。
I. 教える (25~27節)→教える時:パウロは今後エペソの人々と会うことがないであろうという想定でいました。(実際にはローマでの最初の投獄の後にエペソを訪問しているようですが)パウロは前回のエペソ訪問で約3年間働き、人々に語りました。人が誰かに何かを教える、何かを誰かから学ぶ、その時間/期間は限られたものです。親も教師も、いつまでも教えるべき相手に、教え続けることはできません。教える側にとっても教えられる側にとっても、限られた時間であることを念頭に、一時一時を大事にしなければなりません。霊的な事柄においては特にそうです。弟子訓練において確実に一人の人を救いと霊的成長に導き、その人がまた次の人に同じ導きができるようにしていくことが重要です。
教える内容:パウロは神の「御国」と「神のご計画」ということばを使っています。教えるべきことは、まず救いの道です。その人が神様との正しい関係に入り、神様が統治される救いの領域(神の国)となることです。そして救いをいただいた人には(救いを含めた)神様の計画と目的を教えていく必要があります。それは神様がどのようなお方で何をなされるかということと共に、救いをいただいた者がどのように歩むべきかを教えるということです。
教える程度:パウロは様々な場所を回って語り、また神様からのメッセージの全体を語りました。私たちがどこに置かれるのであれ、教え導くことの責任は変わりません。また聖書全体からバランスのとれた教えがなされるべきです。
II. 警告する (28~31節)→パウロは教えることの延長として、警告を与えています。彼は霊的リーダーとして、後を任せるリーダーたちに対してこのことをしています。
霊的状態に注意を払うように:リーダーはまず自分自身が霊的に健全でなければなりません。パウロが若い牧師であったテモテに勧めているとおりです(Iテモテ4:16; IIテモテ2:21)そして神様が託された群れ(教会)の霊的状態に気を配る必要があります。イエス様の御血(ローマ3:25; 5:9; Iペテロ1:18)によってあがなわれた(買い取られた)大切な人々であることを念頭に、養い育てていくべきなのです。しかし究極のリーダー(牧者)はイエス様であることを忘れてはいけません。(Iペテロ5:4)
攻撃に備えるように:パウロは今後教会が内外から攻撃されることを予告しています。間違ったことを教える者たちが外から内から起こり教会が荒らされるというのです。偽教師たちはクリスチャンの信仰生活を破壊し、信仰から離れさせる働きをします。異なった福音を語り、人々を真理から外れさせるのです。(参考箇所:マタイ7:15; IIペテロ2:1-3; ユダ3-4; Iテモテ1:3-7, 19-20; 4:1-5; 6:20-21; IIテモテ1:15; 2:17-18; 3:1-9; IIコリント11:4; ガラテヤ1:6)
教えたことに注意を払うように:内外からの攻撃に備えるためには、聖書の教えにしっかりと根ざすことの霊的教育が重要です。パウロはエペソにおいて常に涙と共に人々を訓戒しました。彼は愛をもって(Iコリント4:14)、そして神様の栄光のためにそれを行いました。(コロサイ1:28)(参考箇所:Iテサロニケ5:12-14; IIテサロニケ3:15)
III. 委ねる (32節) →まもなく去っていくパウロにできること、それはイエス様に、そしてみことばに(エペソのリーダーたちを含めて)人々を委ねることです。みことばは霊的成長の源です。(Iテサロニケ2:13; IIテモテ3:16-17; Iペテロ2:2)そしてみことばにより養われ、聖化の過程を経て、神様の御国そして天的相続に相応しい人へと変えられていくのです。(参考箇所:ローマ8:17; エペソ1:14; 5:26; Iコリント1:2; コロサイ1:12; Iテサロニケ5:23 Iペテロ1:4)パウロは自分の責任―教えること、警告すること―を果たした上で、人々を神様に委ねました。人としての役割に忠実であることもリーダーの務めです。
まとめ: あなたも霊的リーダーになることができます →みことばを語り、(自身の霊的状態を省みつつ)他の人々の霊的状態に気を使い(そして必要に応じて実際の助けをし)、神様に委ねて祈ること、それはすべてのクリスチャンに与えられた使命です。その意味において皆が、人を導く人=リーダーです。人をみことばによって教え・働きかけ・励まし・助けることは、クリスチャンの成長の大きなちからとなります。自分の信仰生活だけで満足するのではなく、一歩前進して人々を導く人となりましょう。家庭や教会の長ではなくても、皆が導きあい、チャレンジしあい、刺激しあう関係がクリスチャンの交わりには必要です。そのようなことが実現する教会は前進し成長し、みことばによる堅実な信者の群れとなっていきます。