必要が与えられる、外敵から守られる、喜び・楽しみがある。これらは人間が幸せな生活を送るための必須事項と言えるものです。今回は喜び・楽しみについて考えてみましょう。
I. 喜び・楽しみのない原因:誰もが求めるものですし、部分的には経験していることではありますが、真の喜び・楽しみを経験できないのはなぜでしょうか。それは①最初の人の罪が原因です。(創世記3:18-19)最初に創造された人は喜び・楽しみを意味するエデンという所に置かれましたが、まもなく神様に反逆し、この所から追放されることとなりました。その子孫として生まれた私たちは皆、罪の性質という負の遺産を受け継ぐことになりました。また②神様から離れていることが原因です。(ルカ15:12-18)罪の性質を受け継ぎ、自らも神様の喜ばれない方向へと行ってしまうのが私たちです。人は自分から神様と距離を置き、結果的に喜び・楽しみを経験できなくなってしまいました。さらに③悪い人であることが原因です。(イザヤ57:21)罪人であることと、喜び・楽しみを経験することは両立しないのです。そして④罪が伴う楽しみを求めることが原因です。(へブル11:25)苦労や悩みの中にあって、それをまぎらわすために(また都合の悪いことを考えないようにするために)人は楽しみを求めます。そしてその楽しみは神様がお喜びにならない、また神様を抜きにした罪の伴うものとなってしまう傾向にあります。
II. 喜び・楽しみの源泉:それは ①神様ご自身であり(詩篇16:11; イザヤ29:19)、②主イエス様のみことばであり(ヨハネ15:11)、③聖霊です。(ローマ14:17)
III. 喜び・楽しみを経験する条件:①主イエス様を信ずることです。(使徒16:34)ピリピの看守はイエス様を信じたことにより、イエス様にある喜びを家族とともに経験しました。救いによる変化が起こったのです。また②主イエス様を見ることです。(ヨハネ20:20)信仰をもってイエス様を仰ぎ見る人が経験することです。さらに③祈ることです。(ヨハネ16:24)そして④神様との交流です。(ヨハネ第一1:3-4)
IV. 喜び・楽しむ結果: ①忍耐強くなります。(ローマ5:1-3, 11)イエス様を信じたからといって悩みや苦労が消滅するわけではありませんが、イエス様にある喜び・楽しみはその人を霊的に成長させます。そのような人々の集団である教会は、良いものを供給し、堅実に前進し、喜びを経験します。(Iコリント3:9)また②奉仕することができます。(詩篇100:2)
私たちクリスチャンは真の喜びを味わう者たちとされたのですから、それを大いに発信するものであらせていただきましょう。人々の救いの手助けをする者となり、主にあって共に喜ぶ経験をさせていただきましょう。