他のものを信じる人たちとの対話が重要であると考えるクリスチャンがいます。そのようなクリスチャンの目的は、彼らを真理へと導くことではなく、お互いにとって益となることを探すことです。彼らを誤っていると見なすのではなく、“違う”人々であると認識し、その違いを脇において評価できる点、また共生、共有できる点を探るのです。しかし、もし福音が唯一であるならば、救いの真実がただ一つであるならば、そのような対話は有意義なものとなるでしょうか。
キリスト様に出会ったパウロ、唯一の福音に出会ったパウロにはそのような他宗教の人々との“交わり”は考えられないことでした。そのパウロは唯一の福音から逸脱してしまったガラテヤの人々に手紙を書いています。今回は、彼の回心における救いの摂理について考えてみましょう。(ガラテヤ1:11-17)
I. 回心時のパウロ:キリストの福音の受託者 (11-12節)→パウロには明確にしておくべきことがありました。それは、福音は神様から与えられたものであるということです。人間の創作ではない福音をパウロは神様から直接受け取り教えられました。神様は特別なかたちでパウロにキリスト様をお示しになったのです。一つの情報としてイエス様を知っていた彼が、イエス様に個人的に会い、真実を受け取ったのです。彼の教えの源は神様であることを、自身の体験を踏まえてこの章の残りの部分と2章全体にわたって語り、恵みの福音の確かさを強調しているのです。
II. 回心前のパウロ:キリストの迫害者 (13-14節)→イエス様に出会う前のパウロはクリスチャンたちを迫害していました。ユダヤ人として生まれ、ユダヤ教の最も厳格なパリサイ派に属し、信ずることへの過度な熱心さは、彼を(ユダヤ教の伝統の相当先を行く)律法遵守と教会への迫害へと駆り立てました。
III. 回心後のパウロ:キリストの説教者 (15-17節)→迫害者パウロは、神様によって選ばれ、召され、救われたのです。彼は神様の特別な働きのために、神様に対して別にされたのです。それは突如彼の中に高尚な思いがわきあがったということではなく、ユダヤ教に満足できなくなったというのでもありません。ただ神様の特別なお取り扱いによるのです。神様は彼を生まれた時から選び、恵みによって召し、キリスト様をお示しになりました。そしてキリスト様に対する信仰をもった彼に、救いの目的が示されました。それは異邦人に唯一の福音を伝えることです。
まとめ:恵みによる不思議な救いのみわざを成就してくださった神様をほめたたえましょう →神様に対して、クリスチャンに対して、様々な暴挙に出ていたパウロは変えられました。それは神様の恵みによる救いのみわざです。(Iテモテ1:12-15) 社会的にはエリートであった彼は、キリスト様を知ることによって価値観を変えられました。(ピリピ3:8) 同じ救いのみわざはあなたの上にもなされました。あなたが家族の中で、1代目のクリスチャンであるならば、祝福の流れがあなたの家族に引かれたのです。あなたが2代目、3代目のクリスチャンであるならば、祝福の流れがあなたに引き継がれたのです。それはすべて神様の救いの摂理によることです。そしてこの後、唯一の純粋な福音が保たれ、伝えられ、忠実な歩みがなされていくのであれば、神様の恵みによってその流れは途絶えることなく継続していくのです。