7月に入りました。2020年も半年が過ぎたことになります。
今年の前半はずっと、新型コロナウイルスの影響を大なり小なり受けながら過ごしてきました。
私たちの集う教会も例外ではありませんでした。
それでも神様は、この小さな群れにも目を留めてくださり、先生や兄弟姉妹方の労によって、オンライン礼拝という形が取られた時期がありました。今は護られて、毎週共に集まって礼拝を捧げることが許されています。改めて心から賛美と感謝を神様にお捧げします!
先日、車に乗っているときにラジオを聞いていたら、アナウンサーが「この半年はコロナコロナでみんな大変でしたね。これから先はどうなるのでしょう。誰にも分かりません。どうすれば良いのでしょうね。仕方がないんでしょうね。」と言っていました。一瞬その通りだな、と思いましたが、その後すぐに、「いや、私たちクリスチャンは仕方がないで片付けることはない。神様に頼ることができるから、どんな状況になっても幸いだな」と思いました。
本当に多くの人たちが、現状を悲観して「諦めるしかない」と思っていると思いますが、私たちは主を見上げ、お頼りすることができる、こんなに素晴らしい祝福をいただいているのだと、感謝が溢れました。
確かにまだまだ予断を許さない状況が続きます。再び感染が拡大し始めていますが、私たちに出来る防御をしっかり取り、神様のご支配に身を委ねて、平安のうちに過ごさせていただきたいと思います。
・・・そんな中に、またしても九州地方で大きな水害が発生してしまいました。
ここ数年毎年のように日本のどこかで災害が起きていて、口を揃えて言われるのが「今までこんなこと無かった」という事です。私たちが住む地方は比較的災害が少なく、神様の憐れみで護られていますが、今後も護られるという保証はどこにもありません。平常時だから「神様を見上げて・・・」と簡単に言えますが、逆境になったときに、本当の信仰が試されることでしょう。
願わくは、災害から護られ、穏やかに過ごさせていただきたいですが、委ねるほかはありません。
この度被害に遭われた方々に神様の特別なお取り扱いがあるように祈ります。
今日のメッセージも冒頭から心に迫ることが語られました。
「主イエス・キリスト様は赦し難い者を赦してくださった。本来なら赦されない者が赦された。」
正に、主は私のような赦し難い者を赦してくださったのです。私自身が自覚している以上に、何倍も何倍も赦し難い存在なのに・・・です。敵対する者に関心を持って下さり、敵対する者のすべてをご存知のうえで、なお愛して下さる・・・。これは私たちに持ち合わせていないもので、主にしか成し得えないことを覚えさせられました。
日常生活の中で、時々「敵」と思われるような存在が出現します。その時に取る態度は、イエス様がイスカリオテのユダになさったこととはまるで逆です。愛を示すどころか、関わらないようにしたり、積極的に攻めたりすることもある、弱く罪深い者です。些細なことであってもこれですから、(メッセージの最後に語られた)アメリカ人女性の日本人捕虜に対する素晴らしい言動は、とても真似できるものではありません。でも、主に似た者とさせていただくとき、それは実現不可能でないことも教えられます。
主イエス様の深い愛の故に、赦されないはずの者が豊かな赦しをいただいて、今平穏に過ごさせていただいていることを改めて感謝しました。どのようにこの愛にお応えするか、私自身に問われています。
♪聖歌157
われいのちを なれにあたえ 血になが身を きよくなして
死と黄泉の手より なれを解きぬ いかなるものもて なれ応えし
今週の歩みが主にあって祝福されますように!