神とともに歩む(詩篇 27篇)

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創世記5章に登場するエノクの生涯(365年)は当時としては短いものでした。聖書は彼の最期について、「死んだ」ではなく、「いなくなった」と書いています。彼について聖書は多くを語っていませんが、彼が神様とともに歩んだことを二度記しています。エノクについて説明されている、神とともに歩むとはどのような歩みであるのかを、詩篇27篇から学んでみましょう。

神の護りの中にある(1-3節):神様についての真実を知る人は祝福を経験します。神様からの「光」は良いものであり祝福です。神様のご存在は、信じる者たちの恐れの理由を取り除きます。攻撃を仕掛けてくる敵(悪魔)は神様の前に完璧な敗北を喫するのです。神様の力強さを知る者は平安を経験し、神様の勝利を経験します。それゆえ、弱い者も強くあることができるのです。

神とともに歩むことを選んでいる(4-6節):ダビデの人生における最重要事項は神様のご臨在の中に生き、神様の目的に生きることでした。“神の家に住む”ならば、神様の素晴らしさを見続けること、神様を黙想し続けることが可能です。人生における苦しみの現実の中でも、究極の現実である、神の隠れ場に憩うことができるのです。神様の護りの現実がこの(神とともに歩むという)選択を促しているのです。この選択は神様を喜び、神様を賛美することへと導かれるのです。

神にのみ 依存する(7-10節):筆者の懇願が繰り返されています。彼は神様の御顔を求めています。それは神様のご臨在を求め、神様との交わりを求めているということです。神様が顔を隠されるとするならば、それは彼にとって悲劇であるとの認識です。彼にとって神様は(家族以上の)信頼に足るお方です。神様は常に顧み、ケアをしてくださるからです。

神にのみ 導きを求める(11-13節):筆者は、罪に誘惑される者であることを認識しています。自身の信仰がぐらつく可能性があることを認識しています。信仰を失う(信じることをやめる)ことの悲劇を想定しています。それゆえ、神の道(教え)を求めているのです。人が神様の教えに導かれないとすれば、間違ったものによって、間違ったところに導かれるということです。

神にのみ 希望を置いている(14節):筆者は神様に対する強い、忍耐を伴う期待の姿勢を示しています。神様にあって自身を鼓舞しているのです。そこには強くあることができる確かな根拠があります。神様が心を強めてくださるのです。

まとめ:神とともに歩む歩みは神が喜ばれる歩み
神様は(遍在の神であられますから)常に人と共におられますが、まことの神様を信じる者たちは、神様と共に歩むことを選ぶ必要があります。神様とともに歩む時には神様が主人です。あなたはこのお方に従い、仕え、その導きに委ねるのです。
神はともに歩むことを望んでおられます。そしてともに歩むことを可能にされました。神様とともに歩むことがあなたの選択であるなら、そうすることの結果の祝福もあなたの選択だということです。
あなたが地上の生涯を終えていく時、あなたについて人は何を覚えているでしょう。それ以上に神様はあなたの生涯をどのように要約されるでしょう。あなたもエノクのように死を経験することなく天に移されることを願うかもしれませんが、それ以上に願うべきことは神様とともに歩み、歩み切るということです。あなたは何に平安を見出し、何に依存し、何に導きを求め、何に希望を置いているでしょう。神様とともに歩むことを選ぶ人は、すべてのことが神様に焦点を置いたものとなっているということです。

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